2013年4月5日金曜日

40歳 ラガー熊 4

 熊を見かけない日々が続いて、僕は41歳になる年を迎えた。この年末年始も、結局また面倒で日本に行かなかった。
 僕には、嫁も子供いない。寂しさはあるが、煩わしさはない。不便もあるけど、静かで快適な町で暮らせているから、僕には考える時間が沢山できた。 様々な人・物・事から解放されて完全に1人でリラックスできる時間、贅沢なことだと思う。
 部屋に居ても、1日中、上下左右隣室、屋外からの様々なノイズが聞こえていた日本の生活が懐かしい。車、自転車、電車を使わずには生活出来なかった日本の生活が懐かしい。大きなビル、大きな建物、電柱と電線、エアコン室外機、大量の自転車、ツライ花粉症、自動販売機、商品と価格が大量に掲載されているスーパー・量販店のチラシ、明るすぎる照明と大量商品とポップと止まない店内BGMがなり続ける量販店、満員電車、ウォシュレット、24時間営業店、テレビ番組の頻繁なテロップ・・・僕はもう、日本でストレスを抱えず生活することは出来ない気がする。

 僕が忙しかったことや、冬になり寒風・雨天で散歩外出が減ったせいだけど、あれ以後、熊をパッタリ見なくなったから気になってしょうがない。 気になったからといって、探しにいくまでのこともしないのだけど。

 僕は病気のことを伝えなかった。 勝手に、単純な痔であると思い込み『性病じゃないよ』なんて言ってしまった。酷い嘘つきだ。それを、僕は気が付いていて訂正しなかったし、ちゃんとした謝罪もしなかった。

 病気について無知でもケツ穴でセックスって行為は僕でも中学生の頃には知っていたのに。 レンタルビデオ店も大きな本屋はもちろん、エロショップ、風俗皆無のこの町で、PC・スマホ・タブレット、インターネット利用無しで、熊は大人になったのだろうか。いや、この町に限らない、イギリスにはそういう田舎町が沢山ある。

 医者で病気のことを説教された熊は、僕のことをどう思っているのだろうか。最も重要なことを伝えないバカな日本人だと思ってるだろうか。 レイプされた人なのだ。僕は医者以外で彼がレイプされたことを知っている唯一の人。不謹慎だが彼が女性でなくてよかったと思う。

 レイプ、男の性欲が理性で押さえられなかった際の最悪行為なのかも。盗撮、のぞき、痴漢の延長行為なのか。貧困による物取り犯罪ではない。抑制できないほどの性欲があったからからの性犯罪行為なのか。日本のように、様々な風俗店、個室ビデオ、個室ネットカフェ、一般書店やコンビニで誰でも簡単に安価にエロコンテンツが購入でき、男の性欲処理方法が無数にある国でも・・性犯罪はある。

 熊に僕のチンコとケツ穴を見られて触られた。それはセックスではない。ゲイ行為でもない。熊以前に触られたのはいつだったか・・、ああ、あのときか。嫁・愛人・風俗・ゲイサウナ・ゲイの出会いの場・マッサージ・友達・知人・医者・子供・親・・どれでもない関係。腹痛で困ってるだろう人に声をかけただけ。

 熊の酒の飲み方は体に悪い。熊は医者から、痔・性病検査以外にも、飲みすぎで肝臓が・・とか言われてるのだろうか。 お金の使い方、食べ物より酒を優先してしまうのだろうか。心が痛い、心の病気で酒を飲んでるのかもしれない。

 熊はなぜ、僕のチンコとケツ穴でオナニーしたのだろう。熊があんなオナニーをしたのに、僕がさほど驚かなかったのは、熊の嬉しそうな表情があったからだろう。 自分の痛いケツ穴がどうなってるかわからないから、誰かに診てもらいたい・・ってには僕にもわかるのだけども、他人にオマエのチンコとケツ穴見せろ って言えるのはすごいことだ。しかも異国の人にだぞ。僕には言えない。。

 こういうこと悩んだり考えたりするより、他にやるべきことがあるのはわかってる、もっと他に深く悩むべきこともあるのだろう。だけど、同時に複数のことを出来ない僕、相当疲れて飽きるまでやり通さないと、次のこともグダグダになってしまう。大人になってない。

 気分転換に、すぐに実行できる、普段やらないことをやろう。 色々やってみた。思いついた一つは、迷惑メールフォルダを確認すること。 見た。 包茎・出会い・ブログで稼ぎませんか・ED・勃起不全・マルチ商法的内容・・・・。 うーむ。。。 包茎ビジネス系はネット普及前から雑誌広告なんかでよくあったけども、、、改めて考えるといったいなんなのだろう。確かに僕は仮性だけど悩んではいない。割礼をしないヨーロッパには仮性も真正もいっぱいいるのに日本のような包茎ビジネスや広告はない。なぜ日本は? 日本のサイトでED広告をやたら目にするのは、どういうことなんだ。ストレスが溜まりやすい日本人はEDが多いのだろうか。不安を煽るバカな過剰広告が多すぎる、こういうのは規制できないのだろうか。

 気分転換できなかったので、映画を見た。 Harvey(1950)  (amazon jp)という映画。良レビュー通りの素晴らしい映画だった。 セリフの中で一つ、心に留まって色々考えさせられる一言があった。「人生は、とことん賢く生きるか、とことん親切に生きるかよ」 のようなセリフ。僕はあまり映画を見ない人なのだけど、現代、近年、未来を書いた映画作品で、同じセリフを・・・って無理かも。 1950年代、今当たりまえにあるものがなくて、今なくなったものがあった時代。  僕はもう人生の半分を生きた。 今さら、とことん賢くは無理だ。 親切に生きられたら・・、そうできるように心がけよう。 次に熊にあったときも。